翻訳有害論有害論
2/12/2019, 7:26:17 AM
翻訳有害論有害論
プログラミング自体を学ぶのか特定のソフトウェアの使い方を学ぶのか。さらに例えばExcelの使い方みたいな意味でソフトウェアの使い方を学ぶのか、Javascriptのフレームワークやライブラリの使い方を学ぶのか。目的に応じて最短距離は変わると思うけど、どの場合でも「母語でない自然言語を体系的に学ぶ」が最短距離であることはない。ただこの人が論じているのは短期的な目的を達するための最適手段ではなく、長期的な利益を見据えた投資として最適である何か(英語を学ぶこと)が明らかであるのに、短期的に利益が見込めるのが明らかであるという理由で「すでに長期的な投資をある程度まで行っていてその利息を享受し始めている人々」が、「まだその長期的な投資をしていない、するかどうか決めかねている人々」に、安易な選択肢を与えてしまうことで、(見返りを短期的には実感できないかもしれない)長期的な投資から人々を遠ざけるように仕向けるのは、「優しい」のか、という問題提起なんだろう。
で、その問題設定?に「えーそれちがうでしょー」と感じるのは、長期の投資によって将来得られるであろう利益が大きいことが確定的であったとしても、その長い期間生きていく糧は得つづけなければならず、その糧が「このJavaascriptフレームワーク」を使えることで得られる場合、そのドキュメントが翻訳されていたおかげで日々の糧を得ることが可能になるのだから、それは「優しい」でしょう、って思うから、かなあ。そういう、当座は困らないっていう前提があれば、次に使うことになる他人製のライブラリは英語でしかドキュメントがないかもしれないから、当座困っていない今のうちに英語も学んでおこう、っていうことにもなるし。元の論者がいう翻訳有害論はこういう入り方を許してくれないので、よくないなーとなる。「糧」っていうと食い扶持という意味に聞こえるけど、「今日もプログラミング楽しかった」「今日もやりたかったXをやることができた」って思うのも糧だよね、って意味で。
個人の経験はすべての人に当てはまらない。勉強という、誰にでも許されている普遍的な権利というわけではないものでは特に、というそれだけ、なんだけども。
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