米国永住権(グリーンカード)取得顛末記 <2018-2021>
11/21/2021, 1:20:41 PM
最初にお断り
この文章は自分で後で振り返って懐かしむために書いた、永住権取得顛末の覚書です。長くて読みづらいです。短めなまとめは米国永住権(グリーンカード)を取得した <2018-2021>に書きました。
始まりの章
2018年6月1日。会社でFounding Partnerの1人に呼び出され、1:1をした。H-1Bビザの残り期限を考えて、今後も米国で暮らし続ける気があるなら永住権の申請をした方がよいという助言を弁護士から受けたということで、その意思確認をしてくれた。2017年の8月から働き始めた会社だったので、なんというか1年経ったら恐る恐る話を切り出してみようかなあと思っていた矢先に会社の方から来てくれたので、とても嬉しいサプライズだった。
もちろんイエスよろしくお願いしますと返答して28日後、法律事務所のパラリーガルからPERMに関する質問書が届く。速攻で返事を出す。...。
8月10日、パラリーガルから質問書への返答を催促するメールが届く。なんと、元のメールへのReply-toにはパラリーガルやCCされていた他の法律事務所関係者だけが一切入っておらず、会社でCCされていた人だけに返信されていたことが判明する。To欄を確認しなかったこちらのミスとはいえ、何このシステム。まずここで丸々1ヶ月無駄にした。
8月17日、前社のCEOにお願いして、Employment Verification Letterにサインをしてもらう。これまでも何度か、その時点での「前社」の社長にビザ関係の書類へのサインをお願いすることがあった。これを読んでいる皆さんの中でこれからH-1Bビザを取ったりグリーンカードを取ろうと思っている人がいたら、会社をやめるときはなるべく円満にした方がよい。
そして何も音沙汰なく2ヶ月が経った10月22日、パラリーガルからメールが来て「95 days windows starts this week」。PERMの手続きが始まる。24日にはニューヨーク州のJob Bankで募集が掲載されていることを確認できた。
年をまたいで2019年2月22日、PERM提出の連絡。2月25日に受領確認。弁護士の話では、PERMの結論がくるのは6月ごろだろうということだった。
PERM完了、I-140の章
2019年6月5日、会社にETA 9089の承認通知が届く。打診から1年。これでやっとグリーンカードへの手順が始まる。6月7日、パラリーガルからI-140の文書を作成するためのシステムへのアクセスコードが届く。Inszoomという名前の、入力しづらく、入力ミスをしやすく、入力ミスしたことを発見しづらいXXXXXXXなシステム。これに何度か足をすくわれることになる。
とにかく速攻ですべてをその日のうちに入力して提出する。提出した後で、I-485は出さないのか聞いてみたところ、「The I-140 is the second step and the I-485 is the third step of the green card. While you can submit concurrently, we have found that it is better to submit separately.」という、他では聞いたことがない説明をされた。他の日本人ソフトウェアエンジニアの方々の記録を読むと、大体皆さん同時申請しているように見えるんだが、会社が契約している法律事務所だし、どうしようもない。
2019年7月3日、I-140の申請を受領した旨の通知を受け取る。
同日にI-485の手続きも始まる。このときになって、出生証明と婚姻証明が必要であることを知らされる。日本人は両方とも戸籍謄本で代替できるのだが、英語に訳す必要がある。急遽日本にいる家族に連絡して市区役所から取り寄せてもらう。さすが日本の役所はこちらに比べてはるかに仕事が早く、申請を(家族が日本国内で)速達で出して2、3日で返信がきたので、それをさらにEMSで送ってもらう。この件は調べておこうと思えば調べておけたので、自分が悪かった...のかもしれないが、I-485を出すことになるのは昨年の時点でわかっていたのだから、手続きのプロたるパラリーガルさんが先に教えてくれればいいじゃないかとも思う。自分の場合、離婚歴もあるので、その日時と証明も必要になった。
日本からの書類入手のドタバタの渦中でさらに追い討ちをかける連絡が来たのが7月11日。グリーンカードの申請が8月以降バックログ送りになることが政府から発表されたので、なんとしてでも7月末までに提出したい。書類を揃えろ、という話。これまでのんびりしていたのはこちらではなくそちらなんですが、とキレたところでそれをしないと不利益を被るのはこちらだけなので、キレの悪い何かをグッと飲み込む。
2019年7月12日、I-140が無事に通る。Classification sought == E31 == EB-3。
InszoomというXXシステム
7月15日。パラリーガルから、日本からの書類がまだ来ていなくてもいいからデータの入力を始めろというメールが来る。これまでのやりとりからこのパラリーガルに不信感を抱きはじめていたこともあり、「それをすると、すべてのデータを入力完了できていない状態でシステムのSubmitボタンを押すことになる。このシステムはSubmitしたらそれ以降データを追加更新することができないので、欠けているデータは別途送り、書類はDropboxで送ることになる。つまり情報が一箇所にまとまっていない状態になるのだが、それでもそれをやるべきなのか。」と確認。それに対する返事は「Yes please」のtwo wordsのみ。悪い予感は後で現実のものとなる。
Inszoomというこのシステムでは、書類の入力項目をセクションごとに入力して次へ、次のセクションを入力してまた次へ、と進めるようになっているのだが、大きな罠がある。入力できない項目を入力できないまま先へ進み、後で入力内容を見直すときに「View」モードで見直していると、本当は入力しなければならないのに未入力になっている項目は、項目の存在すら表示してくれなくなる。そのため、Viewモードでセクションを次へ、また次へと進んでいくと、未入力項目はないように見えてしまう。自分の名前とか必須であることが自明なものは忘れないだろうが、親の旧姓や親の出生国などの自明とは言い難い項目を飛ばしていると、後で見直してもそれを入力していないことがViewモードではわからない。同じ内容を入力する所が3、4ヶ所ある場合も珍しくないので、1ヶ所抜けていた、ということが起こりやすい。平たくいってXXXXXXXシステムである。
7月16日。とにかくこの時点で入力できる項目は入力し、入力できない項目は空欄でSubmitし、手元にある書類についてはスキャンしてアップロードした。会社にスキャナがあって助かったが、パスポートの全ページをスキャンするのはめんどくさかった。そして、めんどくせーと思いながらだらだらやっていたこの作業も後で問題になる。
余談だが、このとき満洲国の英語表記をググったせいで、一時期YouTubeのレコメンに満洲国関連の動画がたくさん出てきて勉強になった。
Crunch time
同日中にパラリーガルから、両親の出生地などの「a lot of information」が抜けているという連絡が来る。抜けていた情報について、項目ごとに別々のテキストファイルにして、Dropboxのフォルダへ入れ、そのリンクを送る。するとパラリーガルから「フォルダって何?使い方がわからない」という返事。ZIPにしてDropboxに入れ直そうとした直後に「ああわかったわかった」と連絡。ため息というか怒りというか。
7月17日、パラリーガルから両親の情報が抜けていると再度連絡がある。が、その情報はすでに送ってあって、向こうが見落としていただけだった。初めてじゃないだろうに、なんだかやけに慌てていてこちらへの指示も要領を得ないものが多くてイライラする。
同日、また連絡があり、パスポートに入国のスタンプがないという指摘。これはこちらのミスで、何冊かあるパスポートのファイルのうち最新のものではないものを送ってしまっていたことが判明する。7月末までに!と急に言われてこちらも慌てている上にめんどくせーと思いながら作業していたことが裏目に出た。
そしてこの時点でパラリーガルは完全にキレてしまった。まずメールで「話したいからいいときに電話してくれ」と送ってきて、それを見て電話をかけようと思った次の瞬間に電話が鳴り、向こうがかけてきた。電話口での彼女は怒り心頭で、こちらがいかにnot being careful enoughで、今はcrunch timeであり、フォームのすべてのフィールドへ入力しなければsubmitできないのにa lot of informationが入っていない、を何度も言い方を変えてがなり立てていた。
上記したとおり、すべてのフィールドへ入力できないことは指摘済みだし、careful enoughでないのはお互いさまだし、crunch timeなのは誰のせいでもない(もっとも、何も進まずに2ヶ月経ったりしていたのはどっちのせいだったのか、って話はあるけども)ので、一方的にがなり立ててきたその態度にはかなり腹もたったのだが、そこでこれらを冷静に指摘して「はい論破」とか言ったところで問題は何も解決しない。あまりの(的外れな)剣幕に途中から逆に面白くなってきてしまったこともあって、何も反応せずに無音で、やっと黙るまで待っていた。黙ったところで、Inszoomはもう一度入力できる状態にはできないのか聞いたところ、向こうもそれが言いたかったらしく、向こうで再オープンしてやり直すことになった。結果的に一から入力し直しになったが、まあ仕方ない。この再入力の過程でようやく、Viewではなく常にEditを選択すべきだというInszoomのキモを理解した。Viewでは入力しなかったフィールドは表示されないし、必須入力かどうかの区別もないに等しい(これはシステムのせいというよりは書式のせいだが)。
とどめなのかなんなのか、こちらのI-94がWebで確認できないので、そっちで確認してInszoomへアップロードしろと言ってきたが、これもパスポート番号と日付を知っていてWebで見られないことはないので、めんどくさいのかやり方を知らないのか、なんかの制裁のつもりなのか、とにかくこのパラリーガルはヤバイ、という結論に達した。
しかしヤバかろうがなんだろうが、後2週間で書類をすべて整えて、原本を送るべきものはニューヨークからカリフォルニア(にある法律事務所)へ送らなければならないのである。前半の何も起こらない期間と中盤のこのドタバタ。こういうのを均等に分散できないのが一番嫌なことなんだが、誰に文句を言っても仕方ないこの弱い立場。
7月18日、Inszoomにすべての項目を入力し、電子書類もすべてInszoomにアップロードしてsubmitする。Dropboxは使わない。とにかくこのパラリーガルの使えなさ加減に合わせるしかない。しかしこれでもまだ罠は次々と待ち構えているのだった。
しょっぱすぎる塩対応
7月19日、パラリーガルから提出書類のドラフトがPDFで届く。見てびっくり。ある種の番号がそれを入れるところではない項目に入っていたり、名前ではない項目に名前が入っていたり、スキップしていいあらゆる場所にN/Aが入っていたりと、内容がひどい。こちらに送ってくる前に一度確認、などということはしないのだな、とため息。
さらにおかしなことに、I-131のドラフトが完全に空白になっていた。上記の細かい誤りを箇条書きですべて指摘し、合わせてI-131について聞くつもりで「I-130が空白なんだけど」とメールで送ってところ、返事が「huh? You don't need to submit I-130. Are you even looking at the right email?」いや、I-130はこちらの間違いだよそりゃ。だけどさ、I-130は提出しっこないんだよ、EB(雇用に基づく申請。I-130は親戚関係に基づくグリーンカードに関する書類)なんだから。普通のプロフェッショナルからのこの状況での返信として期待されるのは「I-130はこの件には無関係だからたぶんI-131のことだと思うけど、今見てみたら確かにI-131が空白ですね。もう1回送り直します」ですよね。
改めてこちらから「すみません、私のタイポでした。I-131のことです。」と返信をすると、今度は手動で出したらしいPDFを添付してきて「Can you see this?」とだけ。パラリーガルとしてどうかはともかく、この手の輩は人間として嫌いだ。こちらのタイポと、そっちの空白のドラフトを確認しろといって送ってくることと、どっちが「すみません」に値するミスだったんだ?
7月19日は金曜日だったので、午後いっぱいと土曜日の午前中をかけて文書の内容をじっくり確認し、おかしな項目をすべて洗い出して、これでもかというくらいどのページのどこの項目がどうおかしいかを箇条書きにし、テキストファイルとして添付してメールで送ったのが土曜日の午後。
突然のクソ翻訳
出生、離婚、婚姻はすべて日本で行われているので証明書類は当然日本語で書かれている。これらは提出するときに英訳を添付しなければならない。
領事館のホームページへ行くと、「グリーンカードの申請などで必要となる場合用の」英文の婚姻証明や出生証明を発行してくれると書いてあるので、これを取りに領事館へ出向いた。必要書類の確認のなかで、英訳を領事館からもらってくるから少し時間がかかるよ、とパラリーガルに連絡してあった。もちろん返事はなかったが。そうして領事館で書類を出してもらい、それをスキャンして提出書類の一部に含めて送ってあった。
7月22日、パラリーガルが突如として戸籍謄本の英訳と称するものを送ってきた。中身を確認しろという。ここでも「領事館のサインと印章が入っている翻訳書類をすでに送ってあるだろうが」という返信をしたかったのだが、そのメールを送って返事が1日こなかったりすると致命的に思えた。もう言い合いをする時間はない。罵声を心の中で撒き散らしつつ、翻訳に目を通す。
この翻訳が盛大に誤っているのは当たり前なのだ。戸籍謄本には両親の名前に読み仮名がないので、普通でない読み方をする漢字を、まして明らかにネイティブ日本人ではない人がアルファベットにするのは無理なのだ。このやり方が今までうまく行っていたとは信じられないので、日本人を扱ったことがないのだろうとここでようやく気づいた。この法律事務所は今の会社の立ち上げより前からFounding Partnerの1人が懇意にしていて使っているらしいのでそんなわけはないと思いたいのだが、そう思わざるを得ない。
罵声を堪えに堪えて父母の名前のアルファベットを訂正して送る。するとそれに対する返信として、こんなのが来る。
「Page 2とPage 3は同じだから翻訳しません」。戸籍謄本は1ページしかない。
意味不明なのだが、こちらは意識が高いのでこう返信する。
「I am pretty sure what you are talking about are our marriage cert and the birth certs. The document certifies both of the facts, so we don't need to translate the same document twice. We just need to submit the same document for three different purposes which may have been confusing for you. That was precisely why I prepared translations of all of the documents signed by the consulate and had submitted them via Inszoom」。
これに対するパラリーガルからの返信。
「Translator insists that document 2 and 3 don't have to be translated. Do you disagree?」
お前、俺の返信読んでないよな。読んでないんだろ?俺が提出した書類が何だったのか把握してないんだよな?同じ文書を2回翻訳する必要はないが、同じ文書を3種類の目的で利用することになるのだ、って書いてあるだろ?いやあ、まいった。毎日毎日どうしてこんな思いをしなければならないのか。ミソスープでフェイスをウォッシュしてからカムツーミーアゲインしろよ。こういうことも想像できるから別々の書面になる領事館発行の翻訳を出したんだよ。XXXXXXXXがぁ。
こちらからは上記とほぼ同じ内容(ミソスープのじゃなくて、こちらから送ったメール文のこと)を再度返信。これに対してはもはや返信が来なかった。無視。無視!すげえ。
これは後々になって知ったことなのだが、領事館の英訳による証明はオリジナルである戸籍謄本の抜粋を訳したものと見なされて、出生や婚姻の証明として機能しないらしい。領事館では、彼らは使えると思っているが実際には使えない書類を有料で発行していることになる。それはそれとして、パラリーガルさん。それをするから少し時間がかかるよってメールに対して、「それは無駄だからオリジナルだけ送ってこい」となぜ言ってくれなかったのか。今になって思うが、メールの出し方返信の仕方にすげえ細かいルールをつけてきていたのは、メールを日常的に読み落としている人だという意味だったのだろう。パラリーガルってそんなんでもできる仕事なんだ。
medical exam
まだ用意できていない提出書類がもう1つあって、それがI-693、いわゆる健康診断。必要なワクチンを接種しているかをチェックする他、一般的な健康診断をする。それをして書類に記入できる医師は決まっていて、civil surgeonと呼ばれ、そこで書類を記入してもらわないといけない。
7月18日の時点で、civil surgeonでmedical examを予約しておけと指示された。こちらはこれについてそこそこの知識があって、medical examの結果は1年有効だが1年以内に面接になる保証がないことは知っているので、「今すぐ?」と聞いておいたのだが、答えは「yes, go ahead」。7月23日の予約が取れた。
ワクチンの接種履歴が必要で、日本人の場合は母子手帳ということになるのだが、当然原本は実家にある。これも7月18日の時点で急遽親に連絡して、EMSで送ってもらっていて、なんと間に合ったのである。もちろん内容の翻訳は自分でするしかない。妻が翻訳をしつつ、このmedical examで必要になると思われる医療用語の対訳表を作ってくれていた。これがマジで役に立った。看護師にいろいろ聞かれたのだが、この表がなかったらわからなかったというか毎度毎度Google translateすることになっていてめんどくさかっただろう。
ただまあ結果としては、ワクチンはあらためて接種することになった。それと血液検査が必要で、クリニックで血液を採取してラボに送り、結果が返ってきてから改めて医師が書類に記入するので、その場では書類は出ない。1週間後にこちらから電話して状況を確認することになった。
必要書類を法律事務所へ送りだす
7月末日期限でカリフォルニアから書類をUSCISオフィスに送る必要があり、書類にはニューヨークにいる自分たちの署名が必要である以上、7月23日という日はほぼほぼギリギリの締め切り日といっていいが、パラリーガルからは最終的な書類をいつこちらに送ってくるのかの連絡は一切ない。ただなんとなく今日中(7/23)に文書がきそうな気がしていたので、medical examを受けたその足で妻をオフィスに連れて行き、もし文書が届いたら印刷して内容を確認して署名してFedExで発送するという作業を終えることにした。これは我ながらめちゃくちゃgood callだった。
549pmにようやく、しかし予想通り、書類がメールで届く。カリフォルニアでは3時のおやつの前くらいのイメージなんだろう。こっちがニューヨークにいるということは知ってはいるが、知ったこっちゃないのだろう。別にバックログ扱いになってしまったって受け取る報酬が減るわけじゃないんだし。いい商売ですね。
会社のオフィスマネージャーに少し残業をお願いして、書類を印刷し、深呼吸しながら最終確認をして、署名をし、FedExの封筒に封をして、オフィスマネージャーがover night扱いで($200近くするのだ!)発送してくれた。640pm。
オフィスを出てはたと気づく。写真を入れ忘れた!決められたサイズの写真を同封しなければならなくて、カバンに入れて持って行ったのに、封筒にいれるのを忘れた!仕方なくFedExに行って自前で写真だけをover nightで送った。はあー、慌てるとこういうことになるのである。慌てたのは自分のせいではあるが、ここまでの道のりを考えると、こんなギリギリになってしまっているのは自分のせいじゃない、と思いたくもなる。
救いはFedExで処理してくれた人がエラいフレンドリーで心温まったこと。8pm閉店で730pmくらいに入店したので、もうやる気ない感じなんだろうなあと思って負けないように心を強く持って入っていったんだが、すごい親切で拍子抜けしてなんかほっとしてしまった。ストックホルムだけども、洞窟に閉じ込められて息苦しいみたいな状況からのあの対応は本当に、突然外に出られてきれいな空気を吸えたような気分だった。
書類は期限までに提出されたのか?
7月25日、FedExのサイトで荷物が配達済みであることを確認して、1つだけ後日提出で残っていた書類について、翻訳をどうするかメールで確認する。パラリーガルは、「Dropboxで送れ」。送った。書類の提出云々について何も報告なし。
7月26日(金曜日)、何も連絡なし。
7月29日(月曜日)医者に電話。まだ結果が来ていないので明日かけ直すようにとのこと。しかし午後になって向こうから電話が来て、結果が届いたのでオフィスに来て欲しい、あと妻のA-numberが欠けているけどいいのか、と。5pmのアポを取る。
同日、パラリーガルにどうなっているのかメールで聞いてみる。するとなんと、out of officeの自動返信が届く。唖然。仕方なくパラリーガルのボスである弁護士にA-numberの件と、この状況でOOOってなんなのどうなってんの、とメールで聞いてみる。ちょっとしてから返信が来て、A-numberはまだないのでナシでOK。OOOの件、あとそもそも文書は期限までに提出されたのかについては返事なし。
医者のオフィスでMMRワクチンを打って、medical examの結果を入手。この先生とオフィスの看護師や事務の人もみんな親切ないい感じでよかった。BrooklynはWilliamsburgのNY Family DocsのDr. Muracaです。
7月30日、何も連絡なし。
7月31日、何も連絡なし。帰宅後に再度弁護士にメールで、文書は提出したのか、あとこのmedical examの封筒はどうするのか聞く。返事は「Yes we did」。medical examの封筒は送ってよこせということで、またFedExで送ることになった。
そしてミスはまだまだ続く
提出した以上あとは向こうの処理が始まるのを待つだけ...と思っていた8月20日、I-797C Notice of Actionが届く。自分のI-485、I-131、I-765は受領。priority dateはFeb 25 2019、received Jul 29 2019。しかし妻のapplicationはいずれもrejected。理由は「Application Typeの記載がない」。弁護士に即メールで確認。弁護士にもそれは届いており、彼女がいうにはきちんと記載がされている(チェックボックスにチェックを入れるだけ)ので、「re-file」するだけだが、それをできるのは10月1日以降になる、ということだった。
正直ここまでの一連のやりとりから、あっちのミスであってもそれをまったく認める気配がないことがわかっているので、これも何が本当だったのかわからないが、とにかく10月1日という日付を早める手段がない以上、泣き寝入りである。あんだけ急いで急いでここまで来て、そのチェックボックスとやらのせいで意味がなかったのである。refileすればいいとかいう一言で済むんだこれ。結果に責任を負わない上に過程についてもずいぶんプロらしくない仕事っぷりですが、ずいぶんお気楽なお仕事ですね。
手続き開始
8月27日、申請者の指紋を取る手続きの呼び出し状を受け取る。
9月4日、呼び出し通りに、マンハッタンのUSCIS事務所まで出向く。携帯持ち込み禁止と書いてあるので持っていかなかったのだが、実際にはみんな待ち時間に携帯をいじっている。1pmのアポで1235pmに着いたのだが、10分くらいですぐに受け付けられてさっさと終わった。
待っているとき隣に座っていた中国系と思われるおばあちゃんに話しかけられて、手に持っている書類の種類が違うことを聞いているような感じだったので、「中国語はわからないけど、あなたは市民権の申請で私は永住権の申請だから書類が違うのではないでしょうか」と英語で言ってみたんだけど、中国人じゃないならいいや、って感じで会話は終わってしまった。
9月30日、初めて弁護士の方から連絡が来て、妻の書類の再提出分を発送した旨の連絡があった。ここで初めて弁護士の方からこういう連絡が来たのには理由がある。後述。
10月21日、自分の分のI-131とI-765のapproval noticeが届く。
10月22日、USCISのWebサイトで自分のI-485のステータスを確認したところ、「Ready to schedule an interview」になっていた。
10月23日、自分の分のEADカードが届く。
10月26日、妻の分の書類の受領通知到着。
11月2日、妻の指紋採取の呼び出し状。11月13日。
11月13日、妻の指紋採取完了。
H-1B更新
12月11日、会社と弁護士が協議したらしく、この時点で自分のH-1Bの期限が2019年2月までであることを憂慮して、EADは出たものの、念のためH-1Bの更新をすることになった。このとき初めて知ったのだが、I-140が通っていてI-485を待っている間は、同じ会社がスポンサーとなってH-1Bを、6年を超えて延長できる、らしい(IANAL)。
12月27日、弁護士から妻のH-4のためのI-539とG-28が届く。内容を確認すると、1ヶ所補足情報を書かなければならないところが抜けていたので指摘する(こういう抜けってどこでも普通にあることなんですかね)。すぐに修正版が届いたので確認し、FedExで印刷して発送する。弁護士には1月2日までに届くはずと連絡しておく。年末年始は大して休まないこの国万歳である。
毎年年末年始は日本に戻っていたのだが、妻のAPが通っておらず、I-94は延長されているもののビザが有効なのかどうかよくわからないこの状況で再入国できなかった場合に困ったことになるので、出国は見送った。2020年になった。
1月2日、会社あてに自分のH-1Bの書類が届く。内容を確認した。
1月24日、会社あてにH-1Bの申請受領通知が届く。
1月25日、妻のH-4の申請受領通知が自宅に届く。この通知の内容に誤りがあり、COB(Country of birth)がなぜかIndiaになっていた。弁護士に連絡するとUSCISが直すから放っておけとのこと。これもどっちがミスしているのかわからない。
同日に妻の指紋採取の呼び出し状が届く。ついこないだ取ったばかりなのになんで?だが、グリーンカードのための指紋とH-4の指紋は別物で、H-4申請者は毎回指紋採取に呼び出されるらしい。これ、その後バイデン政権になって法律が変わったという話も聞いたのだがよくわからない。
2月4日、妻の指紋採取完了。
このH-1B更新手続きは、2019年4月23日にapproveされ、4月29日に通知書が弁護士に届いた。
なお妻のH-4は6月6日にapproveされた。
手続き中断
1月8日、妻のI-131とI-765がapproved。
2月25日の時点でWebサイトによると2人とも「ready to schedule an interview」となっていて、ここからが長いとはいえ...と少し楽観的になってきていた。しかしその矢先の3月18日、USCISは対面の面接をすべて停止した。当初の期限は4月1日となっていたが、ご承知の通りそんな楽観的すぎる設定はまったく現実的ではなかった。
4月2日、Webサイトを再度チェックしてみると、「We canceled the interview scheduled for your Form I-485」の文字が。多分実際にはスケジュールされていなかっただろうと思うけども、がっかりする。
パラリーガルのこと
ところで、手続き開始当初から担当してくれていたパラリーガルの人。前述の通りなんとも折り合いが悪くて、こちらの慌てからくるミスもあったにせよ、「いや、そういう素人たる我々がやらかすいろんなことを正しく導くのがあなたの仕事なのでは」と思ったし、あちらはあちらで同じようなケアレスミスをやらかすし、しかもこちらに対してキレ散らかしてくるのがどうも嫌だった。
ある日、会社でのFounding Partnerの1人との1:1でこの法律事務所の話になり、別にいいんだけどさあ、もう少しこうなってくれててもいいよねえ ha ha ha というノリで上記のような話を伝えたところ、「なんだそれ、詳しく説明してくれ」と身を乗り出される。
いや、例えばこういうことがあって、I-130はこっちのタイポだし、違う方のパスポートのスキャンを送ったのもこっちのミスなんだけど、それに対してキレなくてもよくて、これこれがいつまでに必要でそのためにはこういう作業をこの日までにしてくれないと困る、というように言ってくれればいいなあと思うんだけど、パラリーガルさんはそういう内容をわざわざ全部大文字で太字、または赤字、または下線、またはこの全部をふんだんに使って送ってきてなんか怒鳴られてる感があるし、実際にこないだ電話で怒鳴られたんだよね。なんか最初からさ、メールはすべてこちらのものにReplyで送ってこいって言ってきて、あるときそれまでの流れとは違う主題のことを聞きたかったのでこちらからメールを送ったらReplyじゃないのを送ってくるな!って赤字で太字で大文字で返信がきたりしたしさあ、いやなんか変なルールだよねえ、そのくせ自分はReplyだったり新しくスレッドを作ったりするんだよ、なんだかねえ、と説明した。
顔を見ながら話しているのでその変わりっぷりのすごいことにちょっと引くくらいだったんだが、話を聞いていたFounding Partnerはだんだんと顔を赤くして怒りをあらわにしていった。「うちの会社で一番大事にしていることは、クライアントとの間でのmutual respectで、それをしてくれないところとは仕事をしないというのが、設立時のFounding Partner同士の約束だった。それは業務と直接関係ないこういうことでの外部取引先にも当てはまる。話を聞く限り、そのパラリーガルの態度は受け入れられない。たまたま上司である先方の弁護士とミーティングが設定されているので、今の話を裏付けるようなメールを含めて、時系列でまとめた文書を作ってくれ」と。彼はいつも温厚で会社のお父さん的立場で外からの攻撃から会社や社員を守ってくれている感がある人で、こんなに怒っているのは後にも先にもこのときしか見たことがない。本当に引くというか、こっちのノリとのギャップもあってウルウルしてしまった。
その後、そのパラリーガルからの連絡は2度となくなり、しばらくの間は上司たる弁護士からの直接の連絡が来るようになった。Founding Partnerからも、「いろいろ話したし、この時点で担当者を変えるデメリットも考慮したが、結論としては彼女はもうお前を担当しない。それでいいよな」と言われ、はい、ありがとうございます。あなたに一生ついていきます。と返事をした。
そういうわけでそれ以降は突然、弁護士本人から今までにはなかったような「向こうからの報連相」が来るようになったのだった。しばらくの間だけだったけども。たぶん小うるさい客認定されたんだろうと思う。
EAD更新手続き開始
6月18日、EADの期限が10月なので更新手続きが始まる。
6月25日、I-131とG-28に署名する。パスポート写真が必要ということで、6月29日にCVSで撮影してFedExで送る。
7月7日、EAD/APの書類を提出した旨、以前とは違うパラリーガルから連絡が来る。
7月22日、EAD/APの申請受領の連絡。
その後何も起きないまま1年が過ぎるとはその時は想像していなかったのであった。
H-1B更新その2
12月1日、ここまでEADもグリーンカードも何も連絡がないので、H-1Bが2月に切れたら働けなくなるのでどうにかしませんかと、会社と弁護士にメール。会社側は即更新手続きに入ることに同意してくれて本当にありがたい。弁護士からこないだと同じ書類が送られてくる。
12月2日、H-1BとH-4の書類を両方とも入力してsubmitする。ここまでくるとInszoomにも慣れたものである。
2020年末。今度は本当にAPがない、ビザの状況も相変わらずよくわからない、それにまあパンデミックだし、ってことで2年連続年末年始はステイホーム。
1月7日、妻のH-4の申請のため、自分の給与明細が必要ということで送る。
1月14日、H-1B申請
1月19日、H-1B申請受領通知
1月21日、H-1B 更新 approved
2月21日、前述の通りH-4は指紋が必要なので呼び出しがくる。
3月8日、妻の指紋採取完了
5月26日。5月も終ろうかという日、申請受領から2ヶ月半たってようやく妻のH-4 approved。まあ日々の生活に影響はない(I-485申請待ちの状態であれば不法滞在にはならない)けども、この処理の長さからして他の書類の処理はどうなるのであろうかと。
今でも疑問なのが、この延長申請の承認通知を読むと、I-94が更新されたのであってビザが更新されたわけではないように読める気がすること。この時点でEADと同時申請しているAdvanced Paroleがまだpendingなので、国外に出たら再入国できなさそうな気がして仕方ないのだ。不法滞在ではないだけで、いったん出たらもう入れないことになるような。以前にAPで再入国することのリスク評価を聞いてみたときに「不安ならやめれば?」と言われて「その返事なら司法試験通ってなくてもできるよねえ」と思って以来、そういうのをこの弁護士に聞くのはめんどくさいだけってことになっていたし、どうせCOVID-19で国外には出られないこともあって、このI-140ベースで更新されているH-1B/H-4は再入国時に使えるビザの有効期限が更新されているという意味なのかどうか、結局わかっていない。
そして手続き再開
7月14日、2人のI-485に関する Request for evidence RFE が来る。自分についてはmedical examの提出と、会社の社名が変わっているためそれに関する問合せ。妻についてはmedical examの提出と、婚姻が偽装でないことを示す証拠を可能な限り用意しろという内容。
すぐに用意できるものとして、
- 2014年以降2020年までの納税をjointで行っているのでその書類
- 保険証。両者の名前が入っているので、妻がdependentであることの傍証になるかもしれない
- bank statement。それぞれ別の銀行だが住所が同じなので同じ場所に住んでいることの傍証になるかもしれない
を掲示したが、弁護士はそれらにプラスして、「2人のことをよく知る人物の署名が入った宣誓供述書(affidavit)」を求めてきた。サンプルも送られてきたのだが、ネットで調べるとサンプルの内容よりもはるかに細かく書いてあるものが多い。結婚後の数年以上に渡って2人を両方ともよく知っていて、こういうのを気軽に頼める友人などいないので、一通は会社で一番妻を知っているであろうオフィスマネージャーにお願いし、もう一通は英語ペラペラでニューヨークにも来たことがあり、日本でも妻と一緒に会ったことが何度もある大学時代の友人に頼んだ。大学時代の友人の方は書類を印刷して署名してスキャンするという作業をなかなかやりづらい環境であっただろうに、きっちり翌日にやってくれて助かった。持つべきは友人である。
余談だがこっちではアパートを借りるときにもこの手の「知り合いからの推薦状」を求めてくることがあり、こういうのを気軽に頼める友人がいないこの状況は本当に悩ましい。会社の人に頼めばみんなやってくれると思うけど、なんか会社の人に頼むのは違うような気がしていつも逡巡する。結局他にいなくて頼んでしまうんだけど。
medical exam again
I-485と一緒に提出しないといけないmedical examの書類すなわちI-693は有効期限が1年間なので、前回数百ドル払って受診して得た書類は無駄になってしまった。まあ弁護士的には1年以上面接の呼び出しが来ないことは予想外だったのだろう。こればっかりは誰を責めるわけにもいかない。
7月15日。前回と同じcivil surgeonに電話してアポを取ってみると、7/29と言われる。しかし、今回のRFEには8/9までに提出しろという期限(そこまでに提出しないとグリーンカードの申請を取り下げたとみなされる)が切られており、上記の通り受診してから1週間くらいして書類が準備できるので、7/29に受診だと厳しい。それを伝えると先方(医師ではなく事務担当の電話口の人ね)も心得たもので「それじゃ無理だね、うーん、ちょっと先生に聞いてみて午後に電話します」。
午後4時まで待ってみたが電話が来ないので、こちらからかける。同じ人が出て、「あーハイハイ、ちょっと今聞いてくる」...、しばらくして、「2年前に受けた人だからデータがあるしということで、20日に電話で問診します。それなら7月末までには書類ができるからいいでしょ」はい。大丈夫です。
7月20日、電話がかかってくる。個人認証的なやりとりをして、その後健康に問題はないか、ワクチンは...あー前回全部接種したのね、じゃあ大丈夫、よしok。「ところでさ、今年は日本のゴルフ界すごいね。松山とあとアマの女子も勝ったよね」え?唐突にゴルフの話?「あ、はい、あーゴルフお好きなんですね、ええ、日本でも盛り上がってました。やっぱマスターズは特別ですからね」とか話を合わせる。
続けて「じゃあ血液検査のリクエストを入れたから、ラボに行って検査してきて。そして結果が来たら書類を作って、こっちから連絡するから。今日行けば月曜日にはできると思うよ」。
2年前は(今思えば)血液採取自体は病院でやって、それを病院がラボに送って結果をもらって、とやっていたので、血液検査のラボから請求が来てなんじゃこりゃって驚いた。しかし今回は自分でラボに行って血を取るところからやってこいと、また違うことになって、え?え?ど、どこに行くの?行くだけでいいのアポ取るの?え?結果は自分でもらって来いってこと?え?え?としどろもどろになってしまった。
結論としては医師の側から提携先のラボへオンラインで自分の個人データとなんの検査かの依頼が飛んでいて、そのラボのWebでアポを取り、出向いて名前と生年月日を言えば、血を取られて(あと尿検査もあった)、終了。検査の結果はオンラインで医師のもとに送られることになる。
このラボのオフィスが近くに2ヶ所あって、歩いて行ける方のWebを見てみたら今日は予約スロットが1つしか空いてない。あとは明後日に1つだけ。でも説明を読むとwalk inでも行けるって書いてあって、朝10時以降が空いているとまで書いてある。なので、10時すぎに歩いて行ってみた。しかし、結果は「walk inはやってない」「Webでやってるって書いてあるじゃん」「今の状況ではwalk inは受けられないんだ。Webは更新してないんだろうな」あるあるだね、あるある。sigh。
家に帰って、近くのもう1ヶ所の方をWebで見てみるとその日の13時からの枠が2つ空いていた。予約を入れてCiti Bikeに乗って現地へ出かけた。今度は受付はスムーズだったのだが、血液だけではなく尿検査も必要であることをここで言われて、しかも前回トイレに行ってから30分は経ってないとダメだと。基本出かける前にはトイレに行く習慣をつけているので(そこいらへんにトイレはないこの街では必須の習慣)、30分オフィスで待ってから尿を出す必要があった。まあ30分後に出たのでよかったのだが、時間は多少無駄にはなった。
7月26日。medical examの書類は予定通り月曜日にできた。連絡が来たのでクリニックへ出向き、身長体重、血圧と血中酸素濃度を測り、その後2年ぶりに会う医師と問診。今回はオリンピックか?と思ったら案の定オリンピック、に出る松山選手の話になった。しかしその会話は前回同様二言三言で終わるのであった。
思うにあの雑談は、こちらが英語で会話ができるのかどうか、あとなんらかの精神的な障害を負っていないかどうかを確認する手段だったのではないんだろうか。本当にただのゴルフ好きなんだろうか。よくわからないが、2年経っても変わらずいい先生といいスタッフだった。
I-693の書類を入手して、その足でFedExのover night便でカリフォルニアの法律事務所へ発送したのだった。法律事務所では他の書類と合わせて提出物を作成したら再度ブルックリンへ送るのだから無駄なことこの上ないのであるが、仕方ない。
7/29日。書類が届いた旨の連絡が来た。その他の証拠文書はDropboxでリンクを送ってある。宣誓供述書のお願いに快く、すばやく対応してくれた友に感謝。
塩対応は続くよどこまでも
7月29日の連絡が来た時点で、もうここまで来たらあとは米国からWelcomeかGoodbyeのどちらかを言われるだけであろうと思っていた。ここまでお読みいただいた方の中には、まだ面接があるだろうと思っている方も多いと思うが、RFEが来た時点での弁護士からのメールに曰く「このRFEはgood newsで、I can tell that the officer is going to waive the interview」とあったのだ。この際面接があろうがなかろうがどっちでもよかったのだが、まあこのご時世(2021年8月現在、COVID-19デルタ株蔓延中、銃撃事件や地下鉄内での暴力事件多発中)にマンハッタンまで出かけるのはいやだし、なければない方がよいのだろう、とこの時点では思っていた。
その後法律事務所から何も連絡がなく、USCISのWebのステータスもInterview Cancelledから変更がないまま2週間が経過。どうせあの事務所のことだから8月9日の期限ギリに間に合うように提出していて、その期限になってしばらくしてから処理がされるんだろうから、まあ8月末に結果が出れば早い方かなあとか思っていた。
8月13日金曜日。弁護士からメールが来る。「このご時世なので、あなたの分についても60日間の期限延長が許されました。さて、ドキュメントがまだ足りません。RFEに書いてある例の中で、他に提出できる書類を出してください。とにかく2014年にまでさかのぼって2人が婚姻状態にあることを示す必要があります」。え?え?え?え?え?いや、足りないのなら足りないことは7月29日にわかってたでしょ?提出期限が延長されたのはいいけどさ、どうして7月29日の時点(から1週間以内とか)でそれをこっちに言ってこないわけ?
そんなわけないと思って、RFEに返答したらさらなるRFEが来たんだと思って何度もメールを読み返したが、どう読んでもそうではない。提出していないのだ。いや提出していない理由は内容が足りないからなんだろうけど、だったらなぜ早くそれを言ってくれないんだろう。あーここまで来て、これでもまだこういうパンチを食らうのか。今度は本当に終わったはずとまた期待レベルを上げてしまい、蜘蛛の糸はあっさりプッチンと切られた。
もっと書類を、例えば2014年以前にjointで開設した銀行口座や、2014年からずっとdependantである健康保険の証明、それと結婚式の写真はどうか、などと言われても、ないものはない。2014年から毎年更新されている健康保険証(2人の名前入り)のプラスティックカードを全部取っておいてあったのでそれを並べた写真を撮ってみるが、カード自体には別に2014年から使っていると書いてあるわけではないし、健康保険のWebサイトに行ってみても2014年からcoverageがあることの証明をダウンロードできる様子もない。
大体EBでI-485を申請している人たちの記事を読んでも、面接での婚姻の証明につまづいたという話は見ないし、面接が通ればすぐさま承認される感じなので、面接してくれた方がよかった気がしてくる。とかブツブツ文句を言ったところで意味がないので、健康保険証カードの写真、唯一あった結婚記念食事会の集合写真(の写真)、2015年に妻が診療を受けたときのEOB(少なくとも2015年時点でその健康保険を持っていた証明にはなるかと思って)の3点をDropboxに入れて送る。
8月16日月曜日。これから30日後にまた「あとこれとこれを出せ」とか言われて、60日の延長をフルに使われるのは本当に願い下げなので、「他にできることがあったら今教えてくれ。30日経ってから、まだこれとこれができたのに、って思いたくない」というメールを送った。弁護士からは「wedding photoがあればideal」だと返信があり、例によってこの返信はDropboxの中身をまだみていなくて親族の集合写真を送ったことを認知していないのか、それともいわゆる結婚式の写真が欲しいという意味なのか判断がつかない。「family photoはDropboxに入れた。tuxedo and dressのphotoのことを言っているんだったらそういう写真は撮っていない」と、意識の高い返信を送る。返事は「Ok -thanks」。いや、忙しいんでしょうね、きっと。すいませんねかまってちゃんみたいで。
8月17日。弁護士から「We are all set to file the response」というメールが来る。最後に現住所を再確認させてくれ、そこにgreen cardが届くから、という楽天的な内容。現住所をconfirmした。今度こそは本当に結論が出るだろうか。まだ期待してはいけないだろうか。
Crunch time again
9月3日、Labor Dayを控えた金曜日。緊急全社ミーティングが招集された。内容は、会社が結構financially strugglingでコストカットが必要な状況にあること、人件費が最も高いコストであることから、おそらくはヘッドカウントを減らさざるを得ないという状態であることが告げられる。自分が働いている立場は、この会社では未来への投資といえば聞こえはいいが売り上げに直結していない部署であることは間違いなく、減らすならここでしょ、と会社の誰もが思っている場所なので、戦々恐々である。この段階でレイオフされたら、EBなGCの申請は一体どうなるんだろうか。どうなるんだっていうかEmployment BasedのEmploymentがなくなるんだから取り下げになるに決まってるのである。あー奇跡が起きて明日承認されないかしら。
9月13日月曜日。週例の全社ミーティングにて数人がレイオフされたことを知る。今現在行っているプロジェクトのメンバーも含まれているし、そもそも小さい会社なのでみんな知っているし、なんというか悲しい。自分はレイオフされなかったのだが、正直レイオフされた人たちも残った人たちも、なんで?って感想だったんじゃないかなあと思う。なんといってもコストセンターで売り上げを出していない部門で、他のプロジェクトをヘルプしに行くこともほとんどない自分のようなやつが真っ先に対象になるんではないかと。しかしならなかった。半分くらいは安堵したが半分くらいはなんというか罪悪感のようなものが残る。
16日の木曜日、自宅のすぐ近くのビアガーデン的な場所で送別会をすることになって、罪悪感を抱えて参加する。想像よりははるかに明るく前向きな雰囲気だったが、それもどこまでが本当に前向きなことなのかはわからない。「Fumiakiのグリーンカードの手続きはどうなってんの?」と唐突に聞かれて、「多分final stretchにいると思う」と答えたんだが、この唐突な質問も自分には「なんでお前は残っているんだ。GCが必要な、コストだけが余計にかかるお前が」と聞こえてしまう。いや、そんな暗い雰囲気は一切なかったし、そもそもここのメンバーはみんな、他人と自分の不幸の度合いを比べるような人間じゃないのはわかってるんだけども。
そうして、9月は過ぎて行った。8月19日前後に提出したんだから9月19日前後には結果が出るんじゃないのかなあ、という期待はもちろん裏切られた。裏切られたといっても、こちらが勝手にした期待なんだから誰も裏切り行為を働いたわけではない。
ニュースはある朝突然に
9月29日。なんとなく毎日チェックしているUSCISのWebサイトを今日もチェックした。表示されるのは毎日決まってInterview CancelledというH1なのはわかってるけど、
あ
「Case Was Approved」
え。マジか。番号をチェックしてもう一度入れる。「Case Was Approved」。EADの申請の番号を入れてみる。「Case Closed Benefit Received By Other Means」。APの申請の番号を入れてみる。「Case Closed Benefit Received By Other Means」。
俺のI-485は承認されたみたい。
いやいや、カードが届くまでは油断しないぞ。カードが届かないとか届いたカードの写真がどう見ても自分じゃないとかあるかもしれないじゃないか。
妻の方はまだ「Interview Cancelled」のままなのだし。
自分のカードは10月3日に届いた。自分の写真が貼ってあった。
第四コーナー
9月30日。弁護士からメールで、あなたのGreen Cardは承認されましたという連絡が来る(知ってた)。加えて、妻の分はまだ保留中で、USCISの担当官から留守電が入っていて、処理にはある書類が必要だということだったのでそれらはFedExで送った。27日に配達されたことは確認しているが、留守電には連絡先の情報が入っていなかったのでこちらから連絡できない。留守電ではUSCISのオフィスが入っているビルへ行って、担当官に宛てて書類をことづけろと言っているが、それをしたいですか?と。
どうも内容が読み取りづらいので、「つまり、書類が届いてから1週間くらいは様子を見てあげるか、それとも今すぐ処理して欲しいから届いているはずの書類をもう一度持っていきたいか、って聞いてるの?だったら今から1週間くらいは待つうちに入らないから待ってみるつもりだけど」と返信した。返事は「I agree. Let's give her another week.」来週には結論が出るかなあ。
1週間経った10月6日。結局何も起こっていないので、弁護士へメールをする。返信に162ページのドキュメントが添付されてきて、「これをUSCISのField Officeへ持っていってOfficer Xxxxへ渡してきて」「162ページ全部??」「最初の10ページだけ」はぁ。なんで後の往復のやり取りをしないでいいように最初のメールの中で最初の10ページを印刷して持っていけって書いてくれないんだろう。
「USCISのField Officeへ持っていってOfficer Xxxxへ渡す」といっても、相手のフルネーム、性別、オフィスのある場所すらわからない。オフィスが入っているビルはわかるが、階数も部屋番号もわからない。この国のお役所で、こんな状況で文書を持って行って受け取ってもらえるもんだろうか。うだうだ言っていても仕方ないから行ってみるけども。
10月7日木曜日、朝からCiti Bikeを飛ばしてWilliamsburg Bridgeを渡ってダウンタウンのビルへ。ビルに入る前に空港のような検査場があって靴も脱いでチェック。入ったところで、中はただのオフィスビルである。警備のおっちゃんにみんな何かを聞いているので自分も聞いてみるが「名前だけじゃ何もわからんよ。何の用?グリーンカードの?うーんわかんないな」。はぁ。
しばらくエレベーターホールで何かのサインを探して、「USCIS Information 3rd Floor」の板を発見。3階に行ってみる。Informationに入ろうとしたら警備のおっちゃんに止められて、「この書類をDeliverにきた。Brooklyn field office」「8階へ行け」イエッサー。
8階の入り口でまた同じことを告げ、「わからんから中で並んでブースの人に言ってみ」。そしてブースの人と絶望的なやりとりをする。
「弁護士がOfficer Xxxxから留守電を受けて、この文書を持ってこいと言われたので私が持ってきました」
「Xxxxじゃわからない。オフィス番号とか電話番号とか」
「何もわからない。留守電にそういう情報はなかった。男か女かもわからない」
「Xxxxはここに2人いる。男か女かどっち」
「いやだからわからない。留守電を取ったのは私じゃないので。Receipt Numberとかでどうにかわからないものでしょうか」
ここでようやく手元の端末をかしゃかしゃやってみてくれて、「封筒の表にA-numberを書いて。邪魔だからその横のブースで」。
「ペンを貸してください」というと、隣の何もやっていない風な別の係員に「ペンを貸してあげて」と言ってくれた。その係員は、「あ゛ぁ?」というと、ナマケモノもびっくりの速度で振り返り、そのままの速度で引き出しをあけ、そのままの速度でペンを探し、手渡してくれた。「ペンを貸してあげて」から1分。マジで。1分。
封筒にA-numberとReceipt numberと名前を書いて、丁重にペンをお返しし、もう一度隣のブースへ...行こうとしたら既に別の人の処理をしていたので後ろで待つ。他には誰も待っていなくて助かった。
前の人の処理が終わったところで突然さっきのナマケモノがフランス語でめちゃ明るい早口でその人と会話を始めた。知り合いだったのか。そんなに快活な声を出せる人だったのか。てっきりすべての動作に10秒ずつかかるんだと思っていたよ。そりゃあ同胞に対しては優しくするよねえ。同胞でもなんでもない俺のような東洋人に快活にペンを貸す必要なんか1インチもないよね。ははっ
封筒を受け取った係官はホチキスで封筒を止めると「You are good」「Oh, ok, thank you so much for taking care of it」「You are welcome」。
というわけで、文書はBrooklyn field officeには届いた。だが、弁護士から送ったFedExだってBrooklyn field officeには届いているのだ。違いといえば、A-numberを表に書いたかどうかくらいのもんだ。さて、Officer Xxxxのデスクまであの茶封筒は届くのだろうか。家に帰って弁護士に上記の顛末をメールで報告し、弁護士からは「こっちも本当に何の情報もなかった。正式なRFEを出してくれればよかったのにと思っていた」との返事をいただく。なるほど。
最後の直線
10月21日。弁護士からメールが来る。前回のアクションから2週間経過しても何も起こっていないということで、弁護士の方から再度FedExでレターを送ってみたいが、前回オフィスで書類を渡したときに何らかの領収記録をもらったかということと、州のCongressional liaisonに陳情して本件を先に進めるように要請してもらうWebフォームをsubmitしたいが、了承してもらえるか、と聞かれる。
Receiptの類は一切もらっていないこと、Congressional liaisonへの陳情はぜひお願いしますという返信をした。ちなみにこのliaisonはこれを書いている2021年10月時点で上院院内総務であるChuck Schumerである。議員のオフィスがUSCISに電話した場合は翌日、メールした場合は30日以内に何らかの回答があるらしい*1。何らかの回答があるというだけで、手続きが早くなったりするわけではない。上院院内総務であるということも関係ないであろう。
*1 https://www.uscis.gov/sites/default/files/document/guides/Congressional-Inquiries-Refresher.pdf の11ページ
最後の直線は東京競馬場より長い。
11月5日。弁護士からメールが来る。Schumer上院議員への陳情の文章を書いたので、妻がサインをしたものをスキャンして送り返せと。文章に書いてあるのは、自分の分の申請が承認されてからこれまでに起こったことを説明して、担当官はcaseをlostしたのではないかとafraidしております、という内容。急いでサインしてスキャンして送り返す。順番に処理していますのでお待ちくださいという型通りの返答が30日後に来るのだろうなと予想している。
最後の直線にある坂道は中山競馬場より勾配が厳しい。
11月12日午前11時。今日も今日とて日課であるUSCISのWebサイトへ妻の分のReceipt Numberを入力してSubmitし、「Interview Cancelled」のままであることを確認する。午後になって、ミーティングの前で少し時間があったので冷やかしに再度USCISのWebサイトで同じことをする。サイトを開いて番号をブラウザの候補から選択してSubmitして書いてある字面を見てCommand-Wを押すまでの一連の流れを指が覚えているので、ものの数秒で完了する...
「New Card Is Being Produced」
え?番号を間違えたか?こんな状態見たことあったっけ?
再度番号を確認して入力する。「New Card Is Being Produced」。そしてGmailに新着がある。パラリーガルから。「AOS approved」本当に承認されたらしい。Chuck Schumerすげえ(多分関係ない)。
妻のカードはその後11月21日に無事届いた。こうして私たちの3年5ヶ月に渡る永住権取得のプロセスは完了した。
ゴールそしてスタート
グリーンカード取得プロセスは自分たちの状態を認証してもらうお願いであって、それを得るために自分たちで何かを努力するようなものではない。それを得るために何かをがんばることができない。強いて言えば会社をクビにならないように、また会社が傾かないように、日々の仕事をまじめにやる、ということだけ。だからこそ気長に、何かが起きなくて当たり前、何かが起こってくれたらラッキーくらいのつもりで日々を過ごすのが、精神的に追い詰められないコツなんだろう。でもそこは人間だもの、周囲を見ては「なんでうちだけこんなに時間がかかるんだ」、何かの対応をちょっとしくじっては「なんでこの弁護士はこうなんだ」となってしまう。辛い。辛かった。でもそれももう終わりだ。
ありがとうアメリカ合衆国。ありがとうニューヨーク州。ありがとうニューヨーク市。ありがとう弁護士さんとパラリーガルさん。ありがとう会社のみんな。ありがとう前職のみんな。ありがとうレターを描いてくれた友人と会社の同僚。ありがとうChuck Schumer上院議員(のオフィスの人)。
Fin